皆様方には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
恒例のお会式法要を下記の通り勤修致したいと存じます。
宗祖日蓮大聖人のご鴻恩に報恩感謝する大切な法要でございますので、万障お繰り合わせのうえ、ご参詣賜りますようご案内申し上げます。
記
一、10月27日(日)11時 法要
法要後 法話
- 本楽寺に縁深い総本山二十六世南無日饒聖人(真木ご出身)第二五〇回忌もお勤め致します。
- お斎は行わず、参拝記念品(お供物)を配布させていただきます。
今年のお会式は日蓮大聖人の
743遠御忌の年忌法要です
大聖人さまの綿帽子
本楽寺のお会式法要を迎えるにあたり、お仏壇に大聖人さまのお像がいらっしゃる方は、お綿をお掛けしましょう。
大聖人さまが秋冬の頃、古傷の痛みに悩まされないよう、寒い思いをされないようにするため、一般的には十月のお会式から、三月の春彼岸までお綿をお掛けします。(気候や慣習の違いなどから、地域によって期間が異なる場合があります。)
お会式は「ありがとう」を伝える行事です
法華宗の最も大事なおつとめは「南無妙法蓮華経」を唱えることです。
大切な人が亡くなられた時には、故人が仏となりその冥福を祈るために。
今を懸命に生きる人が困難な状況に陥った時には、無事を願ったり、気持ちを奮い立たせるために。
さまざまなシチュエーションで心を平穏にして過ごすために「南無妙法蓮華経」のお題目が唱えられます。
「南無妙法蓮華経」のお題目はお釈迦さまの教えと我々を結びつける方法です。
それと合わせて、
「自分以外の人々ともご縁のつながりを結んで世の中を良くしていこう!そうすれば結果として仏さまの功徳をいただいて、ずっと幸せになれるんだ!!」
この考え方が日蓮大聖人の説かれた教えの根源で、お題目を唱える最大の理由です。
今は亡き大切な人たちを想い、自分自身や共に人生を過ごしている家族・友人等のことを想って祈り、その想いがより良いかたちとなって実現する方法、「南無妙法蓮華経」を我々に与えてくださった日蓮大聖人へ「ありがとう」の感謝の念を捧げるために「会いに行く」年忌法要が「お会式」です。
総じては日蓮大聖人への「ありがとう」は、亡き人・今を生きている人関わらず、あなたの大切な人たちすべてへの「ありがとう」でもあるのです。
総本山本成寺二十六世本寿院日饒聖人第二五〇回忌によせて
総本山本成寺二十六世の本寿院日饒聖人は江戸時代、越後国蒲原郡真木村に生まれ、庄瀬本楽寺の日惠師の下で出家され、最初の僧名を周陳と名乗られました。
本楽寺での修行を積んだ後、関東の檀林(僧侶の修行機関)に留学し、実績を挙げ、江戸丸山本妙寺の十三世となられ、その後、本成寺の二十六世のご尊前になられました。
総本山在任中には、客殿・宝蔵・方丈向・番神堂・書院・庫裏等、主だった建物の再建工事を精力的に行われました。
総本山でのお勤めを終えた後は、庄瀬本楽寺の隠寮に移り、故郷の地で過ごされました。
ところが、宝暦八年(一七五八)、不慮の火災によって再建工事中であった本成寺の建物の大半が焼失し、日饒聖人の後任であった本成寺二十七世の日叙聖人も火災によって亡くなるという一大事が発生しました。窮地に陥った総本山を復興するため、ご宗門は全国の門下寺院・檀信徒に呼びかけて再建事業に取り組みました。
その際、新たに本成寺二十八世となられた日修聖人は、全国各地への再建資金勧募を呼びかけるため、幕府への許可申請などの都合で江戸に逗留され、本成寺現地での陣頭指揮を庄瀬に隠居中の日饒聖人に託されました。
再び本成寺のために力を奮われた日饒聖人の再建への努力によって、かつて在職中に再建された建物よりも遥かに立派なものが建てられました。
まさに大ピンチからいきなり矢面に立った日修聖人を支え、日饒聖人が陣頭指揮に当たって再建された堂宇は、全国法華宗門下の僧俗が一丸となった信仰の思いを具現化した偉業のシンボルと言えます。
本楽寺は日饒聖人が出家された僧侶としての出発地であり、総本山引退後の隠居先で終の棲家ともなりました。そのため、総本山にある御歴代のお墓とは別に、本楽寺にも日饒聖人のお墓があります。故に、我々の本楽寺は日饒聖人のご生涯において欠かすことのできない極めて重要な場所であります。
奇しくも、その二百五十回忌のお勤めの巡りあわせをいただいたことは、本楽寺だけでなく法華宗の歴史においても光栄なことであり、庄瀬の本楽寺にとって格別のご縁をいただいた幸運と言えます。